初かに道楽へ。
かにばっかりデス。
かには焼くに限る!
メンツはアレです。
院生ばっかりデス。
サテライトメンツです。
つまり・・・
ALLおっさん
28なのにいつもコンビニじゃ40扱いデス。
# POS
やっぱ全然考え方違う人々と会うのはイイですね。
クロスコミュニケーションの価値がわかると偉大ですね。
また懲りずに誘ってください。
でもまぁやっぱり教育屋じゃないですね。
思考とか方向性が・・・。
来週は中間発表->懇親会なんでまた楽しそう。
でもたぶんアウェイ。
まぁアウェイを楽しめるようになれば一人前ですね。
あれから2軒目に行って、午前様になってしまいました。
返信削除昨年は解禁日の城崎へ、その前には間人(たいざ)蟹を
堪能しに行ったことがありますが、食べに行く価値は
ありますが日本海は遠いですね。かに道楽は重宝して
います。
学校教育の中で、かなり偏った3人だったですね。
中等教育の中でも「中学・技術」と「高校・工業」はかなり
違いますし、また「高校・情報」の意識はまた違ったもの
ではないかと思います。もっとマクロに技術的な教育を
考えた時に、中等教育と専門教育(専門学校や職訓)
では様相が異なりますし、高等教育は、また違った
側面を持っているように感じます。教育そのものを考える
時に、初等教育や、更に遡って幼年教育に原点を
見るように思えたのは、昨年から今年に掛けてでした。
日本に3つしかない学校教育学研究科、サテライトだと
なかなか他専攻の方々との交わりが少ないと思いますが
「おばさまたち」と敬遠されずに、幼年教育や初等教育の
方々とのコミュニケーションは益になると思います。
「教育屋」としてのパワーだけではなくて奥深さには
感銘します。
「"educate"する」ということ、工学的なアプローチとして
「心理学のモーツァルト」とも言われるヴィゴツキーは取っ付き
やすいのではないかなあ~と思います。昨年、正司先生
の授業を受けて、ひじょうに興味を持ちました。私の研究
テーマでも、かなり影響を受けています。
> itsumiさん
返信削除お疲れ様でした。
もう1軒行かれたのですね。
いやいやお若い。
> 偏った3人
偏っていることは良いことです。
> 高校・情報
教員養成課程な世界なせいか、
そういうカテゴライズされる方が多いのですが、
# というか100%そういうカテゴライズしか聞かれたこと無い…
私自身はそういうカテゴライズはちょっと心外で、
しいて言うなら…CS(Computer Science)あたりでしょうか。
それでもなんかアレな気もしますが…。
# べつにそういうカテゴライズの優越があるわけではなく、
# 高校・情報とかになると領域が極端に限定されてしまうのが
# ちょっと嫌なんですね。
自他共にMad Scientistと言われるようになれるのが、
人生の最終目標です。
yo-takaさん、
返信削除私の書き方が悪かったようで、大変失礼いたしました。
カテゴライズをしたわけではなくて、技術的な教育という
切り口で捉えた時に、中学・技術、高校・工業、高校・情報
では、それぞれモード(様相)が異なるというニュアンスで
書いたのですが、私の言葉足らずでした。更にマクロに
捉えると、中等教育と高等教育、専門教育それぞれの
モードがあると思うのですが、通奏低音として共通項の部分
も多いと思います。理科や数学と切り離して考えることも
出来ませんし、その他の教科とオーバーラップする部分が
多いのも、中学・技術、高校・工業、高校・情報の共通点
であり、マクロには、中等教育と高等教育、専門教育でも
それぞれの技術系の教育の、モードを超えた通奏低音も
同じように底流にあると思っています。
私自身、教科教育ではなくて基礎教育系のコースを選んだ
者ですし、教科や校種を超えて、一教師というよりも、
一人の人間として、教育の大切な根源に近づきたいと
思っています。もっと言えば、教育に限らず、発達をも
含めて捉えたいと願っています。
改めて考えると「教育屋」という表現こそがカテゴライズ
になるのかもしれませんね。
> itsumiさん
返信削除> カテゴライズ
こちらこそ気に障ったら申し訳ありません。
数学は数学、英語は英語と捉えたくて、
「中学」数学とか「高校」英語といった枠組みでとらえたくないのです。
まぁカテゴライズは無意識のうちにしちゃいますからね。
# 学生、教員、設計屋、実験屋、理論屋、…
> 教育に限らず、発達をも含めて捉えたい
そうなると結局「人生論」になっちゃうと思うんですが、
「人生十色」でいろいろな生き方があるので、
論ずるにはちょっとカオス(混沌)かなと思っているのですが、
そのあたりどうでしょうか。
yo-takaさん、
返信削除今、小学校における英語の授業の試みや
研究が活発に行われていますが、英語教育と
いう捉え方で中学や高校の教員がイニシアチブを
とっているわけではなくて、また小学校の教員が
独自に「小学」英語という枠組みを起こしている
わけでもないんです。英語教育における縦の
広がりと、初等教育における横の広がりの中で
位置付けられて進められているのですが、今までの
初等教育の中で「英語」はかなり特異な様相を
持っていますし、英語教育としてもレベルを下げて
「わかりやすく教える」というだけで対応する
わけではなくて“英語教育そのもの”を問い直して
いるように思います。
それはまさに、学校教育というものが、発達段階
の途上にある者を対象にしている所以であって
比較的発達段階の後期の安定期に入った高校生を
対象とするにしても、「"educate"する」ということを
考えるときに発達心理は避けて通れないように
思います。
・・・人生論になってしまう、というのが私には
ちょっとよくわかりませんが、逆にカオスに陥らない
為に、"educate"する対象者の「発達」に関して
知る必要があるように思います。
カテゴライズしたりパターン化することは、わかり
やすいですし、広がりやオーバーラップを踏まえて
いれば、必要(或いは必要悪)なことかもしれませんね。