2007年9月15日土曜日

とれとれぴちぴち

今日はアレです。
初かに道楽へ。
かにばっかりデス。
かには焼くに限る!

メンツはアレです。
院生ばっかりデス。
サテライトメンツです。
つまり・・・
ALLおっさん

28なのにいつもコンビニじゃ40扱いデス。
# POS
やっぱ全然考え方違う人々と会うのはイイですね。
クロスコミュニケーションの価値がわかると偉大ですね。
また懲りずに誘ってください。
でもまぁやっぱり教育屋じゃないですね。
思考とか方向性が・・・。
来週は中間発表->懇親会なんでまた楽しそう。
でもたぶんアウェイ。
まぁアウェイを楽しめるようになれば一人前ですね。

5 件のコメント:

  1. あれから2軒目に行って、午前様になってしまいました。
    昨年は解禁日の城崎へ、その前には間人(たいざ)蟹を
    堪能しに行ったことがありますが、食べに行く価値は
    ありますが日本海は遠いですね。かに道楽は重宝して
    います。
     学校教育の中で、かなり偏った3人だったですね。
    中等教育の中でも「中学・技術」と「高校・工業」はかなり
    違いますし、また「高校・情報」の意識はまた違ったもの
    ではないかと思います。もっとマクロに技術的な教育を
    考えた時に、中等教育と専門教育(専門学校や職訓)
    では様相が異なりますし、高等教育は、また違った
    側面を持っているように感じます。教育そのものを考える
    時に、初等教育や、更に遡って幼年教育に原点を
    見るように思えたのは、昨年から今年に掛けてでした。
     日本に3つしかない学校教育学研究科、サテライトだと
    なかなか他専攻の方々との交わりが少ないと思いますが
    「おばさまたち」と敬遠されずに、幼年教育や初等教育の
    方々とのコミュニケーションは益になると思います。
    「教育屋」としてのパワーだけではなくて奥深さには
    感銘します。
     「"educate"する」ということ、工学的なアプローチとして
    「心理学のモーツァルト」とも言われるヴィゴツキーは取っ付き
    やすいのではないかなあ~と思います。昨年、正司先生
    の授業を受けて、ひじょうに興味を持ちました。私の研究
    テーマでも、かなり影響を受けています。

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  2. > itsumiさん
    お疲れ様でした。
    もう1軒行かれたのですね。
    いやいやお若い。
    > 偏った3人
    偏っていることは良いことです。
    > 高校・情報
    教員養成課程な世界なせいか、
    そういうカテゴライズされる方が多いのですが、
    # というか100%そういうカテゴライズしか聞かれたこと無い…
    私自身はそういうカテゴライズはちょっと心外で、
    しいて言うなら…CS(Computer Science)あたりでしょうか。
    それでもなんかアレな気もしますが…。
    # べつにそういうカテゴライズの優越があるわけではなく、
    # 高校・情報とかになると領域が極端に限定されてしまうのが
    # ちょっと嫌なんですね。
    自他共にMad Scientistと言われるようになれるのが、
    人生の最終目標です。

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  3. yo-takaさん、
     私の書き方が悪かったようで、大変失礼いたしました。
     カテゴライズをしたわけではなくて、技術的な教育という
    切り口で捉えた時に、中学・技術、高校・工業、高校・情報
    では、それぞれモード(様相)が異なるというニュアンスで
    書いたのですが、私の言葉足らずでした。更にマクロに
    捉えると、中等教育と高等教育、専門教育それぞれの
    モードがあると思うのですが、通奏低音として共通項の部分
    も多いと思います。理科や数学と切り離して考えることも
    出来ませんし、その他の教科とオーバーラップする部分が
    多いのも、中学・技術、高校・工業、高校・情報の共通点
    であり、マクロには、中等教育と高等教育、専門教育でも
    それぞれの技術系の教育の、モードを超えた通奏低音も
    同じように底流にあると思っています。
     私自身、教科教育ではなくて基礎教育系のコースを選んだ
    者ですし、教科や校種を超えて、一教師というよりも、
    一人の人間として、教育の大切な根源に近づきたいと
    思っています。もっと言えば、教育に限らず、発達をも
    含めて捉えたいと願っています。
     改めて考えると「教育屋」という表現こそがカテゴライズ
    になるのかもしれませんね。

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  4. > itsumiさん
    > カテゴライズ
    こちらこそ気に障ったら申し訳ありません。
    数学は数学、英語は英語と捉えたくて、
    「中学」数学とか「高校」英語といった枠組みでとらえたくないのです。
    まぁカテゴライズは無意識のうちにしちゃいますからね。
    # 学生、教員、設計屋、実験屋、理論屋、…
    > 教育に限らず、発達をも含めて捉えたい
    そうなると結局「人生論」になっちゃうと思うんですが、
    「人生十色」でいろいろな生き方があるので、
    論ずるにはちょっとカオス(混沌)かなと思っているのですが、
    そのあたりどうでしょうか。

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  5. yo-takaさん、
     今、小学校における英語の授業の試みや
    研究が活発に行われていますが、英語教育と
    いう捉え方で中学や高校の教員がイニシアチブを
    とっているわけではなくて、また小学校の教員が
    独自に「小学」英語という枠組みを起こしている
    わけでもないんです。英語教育における縦の
    広がりと、初等教育における横の広がりの中で
    位置付けられて進められているのですが、今までの
    初等教育の中で「英語」はかなり特異な様相を
    持っていますし、英語教育としてもレベルを下げて
    「わかりやすく教える」というだけで対応する
    わけではなくて“英語教育そのもの”を問い直して
    いるように思います。
     それはまさに、学校教育というものが、発達段階
    の途上にある者を対象にしている所以であって
    比較的発達段階の後期の安定期に入った高校生を
    対象とするにしても、「"educate"する」ということを
    考えるときに発達心理は避けて通れないように
    思います。
     ・・・人生論になってしまう、というのが私には
    ちょっとよくわかりませんが、逆にカオスに陥らない
    為に、"educate"する対象者の「発達」に関して
    知る必要があるように思います。
     カテゴライズしたりパターン化することは、わかり
    やすいですし、広がりやオーバーラップを踏まえて
    いれば、必要(或いは必要悪)なことかもしれませんね。

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